「おいしさは“スピード”で決まる」を掲げるジビエ職人
紀伊半島の南西部に位置する和歌山県田辺市。市の総面積は1,000km²を超え、近畿地方の市町村で第1位の広さを誇ります。広大な土地の多くは山林で、シカやイノシシの生息地になっています。田辺市の山間部にたたずむ『ひなたの杜』は、田辺市の自然の恩恵を受けて育ったシカやイノシシを一級品のジビエに仕立てるジビエ処理施設です。
『ひなたの杜』を切り盛りするのは、ジビエ職人歴15年を超える湯川さんと、止め刺しから処理加工まで幅広くこなす施設スタッフの中田さん。湯川さんは長年にわたるジビエづくりを経て、「ジビエのおいしさは“スピード”で決まる」という考えにたどり着きました。「血抜きをいち早く、的確に行ったジビエのおいしさは段違いです。私たちは猟師さんや農家さんから連絡が入ると捕獲場所まで急行し、捕獲されたシカやイノシシが食肉に適しているかチェックしたうえで止め刺しします。おいしいジビエになるポテンシャルがあるかどうかは、シカやイノシシの“顔”を見ればわかりますよ」と笑う湯川さん。湯川さんの肩の力が抜けた自然なしゃべり口から、ジビエ職人としての自信がうかがえます。
赤身と脂身の美しいコントラストは“おいしさの証”
湯川さんたちが目利き・血抜きしたシカとイノシシは『ひなたの杜』に運ばれます。解体室に入ると、そこは清掃が行き届いたクリーンな空間!「衛生面にこだわるのは、ジビエ処理施設として当たり前のこと」と謙遜する湯川さんですが、和歌山ジビエ処理施設衛生管理認証制度を取得し、処理加工を行う環境レベルを高い水準でキープし続けるのは簡単なことではありません。手早く血抜きしたシカとイノシシの持ち味を損なわないために、『ひなたの杜』では施設内の衛生管理・温度管理を徹底しています。
秋が深まり始めたこの日、湯川さんが精肉加工するのはイノシシのバラとロースです。メスのイノシシ肉は、冬が進むにつれて良質な脂が厚みを増す、湯川さんおすすめの逸品。しっとりとした赤身とつややかな脂身のコントラストが美しいです。「脂身が白いのはおいしいジビエの証だと思っています。血抜きが不十分なジビエは脂身がピンク色になります。『ひなたの杜』が一秒でも早い血抜きにこだわるのは、捕獲・血抜きの時点でジビエのおいしさの80%が決まると考えているからです」と湯川さんは話します。
精肉加工の“ひと手間”で、ジビエ料理のハードルを下げる
『ひなたの杜』のシカ肉とイノシシ肉のおいしさには、田辺市の気候と地理的特性が大きく関わっています。近畿地方一の面積を誇る田辺市は、寒暖差が大きい山間部と温暖で雨が多い海岸部に分かれます。田辺市に生息するシカとイノシシは、異なる気候が混在する市内を移動しながら、季節ごとの食物を摂取して成長します。恵まれた環境のおかげで、シカは夏場であってもしっかりと脂身を蓄えていると湯川さんは話します。「海岸部から吹く潮風の影響で、山間部の木々の葉っぱにはミネラル分が付いています。シカはその葉っぱを好んで食べているので、ミネラル分が肉にアクセントを加えていると思います」
『ひなたの杜』が手掛けるジビエの質の高さは、すでに全国各地の人気店の知るところになっています。ただ、湯川さんはもっとたくさんの飲食店がジビエ料理を提供してくれることを願っています。「ジビエは寒い時期の食材とイメージする方もいますが、『ひなたの杜』のジビエには四季折々の魅力があります。初めてジビエを調理する方には、すき焼きやソテーなどが火入れしやすいのでおすすめ。希望の厚さにスライスして出荷することもできますので、気軽にジビエ料理にチャレンジしてほしいです!」
料理人の好奇心・向上心に寄り添うジビエ処理施設を目指す
『ひなたの杜』のこだわりは、ジビエづくりの“外側”にもあります。シカやイノシシの剝皮から解体、精肉加工を間近で見学できるよう施設内には大きな窓が付いており、ジビエ職人の手さばきや処理加工スピードを体感できます。ガラス越しの見学では満足できない料理人の皆さんに朗報!事前に予約すれば、ジビエの処理加工を体験できます。「百聞は一見に如かず、シカやイノシシからジビエを作る経験は、ジビエに関する知識をぐんと増やし、ジビエ料理のヒントをもたらすはずです」と湯川さんは説きます。この日、『ひなたの杜』には愛知県から視察に来たというシェフの姿が。湯川さんは親身にジビエづくりをレクチャーし、料理人とジビエの作り手との交流が生まれていました。
湯川さんが目指すのは、飲食店と気さくにやりとりするジビエ処理施設です。湯川さんは「町の魚屋のように、『いいシカが入荷したけど、どう?』と電話できる飲食店が増えるといいですね。やっぱりお店ごとの好みやこだわりを知ったうえで、一番のジビエを提供したいですから。『ひなたの杜』のジビエだけでなく、私たちの作り手の人柄を知っていただけたらうれしいです。ぜひ気軽にお電話を!」とはにかみます。ジビエづくりにも料理人との交流にもまっすぐな湯川さんは、これからも実直に飲食店のジビエ活用を応援していきます。